気づくこと、学ぶこと
この間友人たちと釣りに行ってきました
ぜーんぜん釣れなかったけど
自然と遊ぶって楽しいですね
自分かよかれと思ったことが、必ずしも周りにとって
いいこととは限りません。
多くの場合には、そのことに気づかずに、
そのままつき進んで、余計に周囲との溝ができ
空回りしていくものです。
このところ今までの生き方とか、
これからの人生を考えさせられる
タイミングがありまして、
自分自身を見つめるモードに突入しております
考えてもよくわからないんですけどね
先日、私が実質的な責任者となっているとある会議で
強烈なダメ出しをうけました。
私がよかれと思ってやってきたことは
周囲からしたら独りよがりであったり、
余計なことであったり、
周りが全然見えていなかったんだなっと
気づかされた瞬間です。
私はその会に今までずっと違和感を感じていて
それがどうしてなのか、どうしたらいいのか
なぜチームになれないのか、
わからなかったのですが
先日の会議で初めて本心に触れて気づくことができました。
「原因って自分(私)じゃん!」
!!!!衝撃
「気づく」ということは得てして痛みも伴うもの。
正直今回私はたくさん傷つきました。
でもその痛みからしか学べないこともあります。
私が熱をもって取り組んでいるメディエーションは
決して仲直りをさせるための話し合いではありません。
お互いを知り、お互いにとっていい距離感を保つための
手段です。
どちらかがどちらかに合わせるだけが解決ではありません。
理解し合って、そのうえでどうしていきたいのか。
ともに歩んでいく場合もあれば、
別離を選ぶこともそれはそれで解決です。
難しいのはその距離感は時と場合、人や環境
で常に変化していくということ。
その変化に敏感でいなくてはいけません。
人間関係って難しい。
メディエーションを勉強していても
人間関係の構築がうまくいかないときも(多々)ある。
だから面白いし、
面倒くさい
今回は学ばせていただきました。